大門の歴史
高野山の名所の1つである大門は高野山の入口である国道480号線に面したところにあります。
もともと高野山の入口は、鎌倉時代ごろまで九折谷という地区にありその頃は「門」の形ではなく鳥居が立っていたことが分かっています。
当時高野山に建てられたのが、鳥居だった理由としてはもともと高野山が丹生都比売神社の神領であったことが考えられます。
現在の門が建てられたのは、今から900年前のことでこの時鳥居から門へと変えられました。
また、800年には現在のような2階建ての楼門に建て替えられました。その後戦国時代に焼失しますが、応其上人によって再建されました。
現在高野山に観光で赴いて目にすることのできる大門は、今から200年前に再建されたものです。
その後の修理の記録もきちんと資料に残される高野山の中でも明確に歴史のわかっている数少ない建物の1つです。
是非、その歴史を感じて下さい。
大門の見どころ
大門には見どころとなる所がいくつかあります。
ここでご紹介するポイントは他の人ではなかなか気づけない点も含まれています。
是非実際に赴いてじっくり見てみて下さい。
出典:TripAdvisor (トリップアドバイザー)
大門の見どころの一つめは国内で2番目に大きいとされる金剛力士立像です。
この金剛力士像は、江戸時代に大門を再建する際に建立された仏像で当時仏像を作ることで有名だったお坊さん達の記録を見ていくと二体の金剛力士立像を建立するのに康伝、康意、康敬、運長の4人の仏師がかかわったことが分かっています。
その迫力たるや奈良の東大寺にいらっしゃる金剛力士像にも引けを取らない表情を見せています。
眉毛や顔の筋肉、体の筋肉に至るまで滑らかでとても木でできているとは思えない質感を伝えています。
また、目は大変生き生きとしていて今にも動きそうです。
出典:TripAdvisor (トリップアドバイザー)
次に大門で見どころとなるのが大門の中央二本の正面の柱に掲げられた、「日々影向文」(にちにちようごうぶん)です。
これは高野山に伝わる「入定留身」の信仰の精神を伝える文章です。
高野山には今でも弘法大師空海がいらっしゃいます。
これはつまり即身成仏した空海は死してなお多くの人のために祈りを捧げ続けてると言うことで、日々影向文の「弘法大師が高野山の樹下に身を留め、魂は弥勒菩薩の浄土である兜卒天の雲上に遊行し、毎日欠かすことなく、大師に縁ある遺跡に影向し検知する」という内容と同じことになります。
大門に掲げられている「不闕日日之影向 (日々の影向を闕かさず)検知處處之遺跡 (處々の遺跡を検知す)」は「毎日欠かすことなく、大師に縁ある遺跡に影向し検知する」の部分に当たります。
なかなかこの言葉の意味を体験することはできませんが、是非一瞬でも気に留めて弘法大師の入定した思いを感じてみて下さい。
最後に見るべきものは、やはり大門の構造と美しい丹色(にいろ)です。
現在の大門が丹塗になったの今から30年前です。
赤は神社やお寺の建造物にはよく使われる色ですが深い森の中にある大門の赤は存在感にあふれ、所々に見える漆喰の壁が美しさを増しています。
楼閣づくりの大門の2階部分の欄干はやはり複雑なL字を組み合わせた造り支えられています。
高野山に行ったら必ずこの入り口をくぐって高野山観光を始めましょう。
大門へのアクセス
大門へのアクセスは麓から国道480号線を車で上る他にケーブルカーの高野山駅からバスで行く方法もあります。
高野山駅から大門に行くには大門南駐車場行きのバスに乗ります。