壇上伽藍の歴史
壇上伽藍は弘法大師空海が高野山を開山して最初に開拓した場所です。
一般の人々が密教の世界を目で見てわかりやすいように作られるのが、仏教伽藍です。
壇上伽藍は空海が西暦817年に弟子たちと一緒に開拓し建立しました。
空海はこの頃京都にも教王護国寺(東寺)という密教の根本中堂を頂いていたため、壇上伽藍の完成には十数年から20年という歳月がかかりました。
そのため現在高野山の中で「弘法大師ゆかりの地」として霊域や観光スポットとなっている所は金剛峯寺の境内である壇上伽藍など数が限られています。
壇上伽藍の意味と密教の教え
壇上伽藍は、密教の修行場である高野山の中で密教の世界の1つである胎蔵界曼荼羅を表していると言われています。
一般的に胎蔵界曼荼羅が時計回りで見るのと同じで金剛峯寺の参拝は時計回りに参拝します。
金剛峯寺の境内には壇上伽藍のイメージとなる大塔の他に中門、金堂、六角経蔵、御社、山王院、西塔、孔雀堂、准胝堂、御影堂、大塔の鐘、愛染堂、不動堂、勧学院、大会堂、三昧堂、東塔、智泉廟、蛇腹路、六時の鐘があります。
これらの建物は高野山の信仰の源です。
出典:https://blogs.yahoo.co.jp/mosh_style/17964775.html
この胎蔵界曼荼羅とは密教の主要な経典の1つである「大日経」を根拠とする密教の世界を表した絵図です。
現世利益の象徴である仏やインドのヒンズー教の神々が描かれたこの胎蔵界曼荼羅は、中心の中台八葉院というところに大日如来がおわします。
大日如来の周囲には宝幢(ほうどう)、開敷華王(かいふけおう)、無量寿(むりょうじゅ)、天鼓雷音(てんくらいおん)の如来仏と普賢菩薩、文殊師利菩薩、観自在菩薩、慈氏菩薩の菩薩像が配されておりこの世で仏の力がどのように作用するのかを表しています。
曼荼羅は多くの人にしてみれば同じような仏像が沢山書かれた仏教芸術です。しかし、仏像もそれを取り巻く神像も一体一体意味や伝説などの物語を持つものばかりです。
そもそも、密教に関わらず仏事の際に唱えられる「お経」は密教の修行をした偉いお坊さんがどのように修行したかやどのように悟りを開いたか、どのような説話や伝説があるのかを説明したもので、言葉が難しく聞き取りにくいだけで内容が理解できれば面白く読めるものです。
高野山の中にはゆっくりと曼荼羅を見ることのできる場所が沢山あります。是非、ゆっくりと一体一体見てみて下さい。
壇上伽藍の観光モデルコース
出典:https://www.wakayama-kanko.or.jp/worldheritage/koyasan1200/contents/pdf/map_koyasan.pdf
壇上伽藍の観光コースは高野山のホームページにもある通り、壇上伽藍を中心に時計回りに回るのが基本です。
壇上伽藍の時計回りとは、中門、金堂、六角経蔵、御社、山王院、西塔、孔雀堂、准胝堂、御影堂、大塔、大塔の鐘、愛染堂、不動堂、勧学院、大会堂、三昧堂、東塔、智泉廟、蛇腹路、六時の鐘の順です。
この順路の中には季節によって異なる姿を見せる庭園もいくつか含まれており、季節を違えれば何度も飽きない景色を見ることができます。
壇上伽藍へのアクセス
壇上伽藍へのアクセスはケーブルカーの高野山駅からバスに乗車して「金堂前」のバス停で下車してすぐです。
金堂前のバス停は千手院橋、金剛峯寺前で乗り換えて約15分かかります。
そのため多くの人は、千手院橋のバス停までバスに乗ってそこからは歩いて金剛峯寺の本堂を参拝したり霊宝館を見学しながら壇上伽藍に向います。
千手院橋からは歩いて12分かかります。
夏の暑い時期はぜひ帽子や日傘を持ってお出掛け下さい。
高野山駅から金堂前までのバスの時刻はこちらからご覧ください。